映画を観た後に感じる特有の感覚は、他にはない独特なものだと感じます。映画の中で広がる幻想的な世界から、現実の生活へと引き戻される瞬間は、非常に印象的です。私にとっては、廃墟をテーマにした書籍や廃墟写真集からも、同じような感覚を味わうことができます。
買ってはいけない廃墟本・写真集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
現在はその姿を完全に失ってしまい、写真集などでしかその存在を知ることができない東洋の魔窟「九龍城塞」についてお話しします。私は最初に写真集を通じてその存在を知り、図書館に何度も足を運んで、飽くことなくその魅力に見入っていました。その魅力を言葉で説明するのは容易ではありませんが、密集した建物の景観は、私の好奇心を掻き立て、時間を忘れさせるほどのワクワク感をもたらしました。
あまりにもその世界に没頭してしまい、日常生活に影響を及ぼすのではないかと心配になったほどです。夢中になること自体は素晴らしいことですが、我を忘れてしまうほどになってしまうのは、考えものだと思います。したがって、廃墟に興味を持つ方々には、あまりのめり込みすぎないように適度に楽しむことをお勧めします。
写真集を購入し手元に置くことも一時考えましたが、最終的には手を出しませんでした。私にとっては、その分野があまりにも魅力的すぎて危険なものであるため、購入しなかったのは正しい判断だったのです。読書は私の趣味の一つですが、手に入れた本を読み終えた後は、すぐに売却して手元に残さないようにしています。しかし、時折、読んだ本のことをすっかり忘れてしまい、何年か後に同じ本を再度購入してしまうことがあるのは、少し情けないことです。それでも、印象に残る作品は、心の中に長く留まりますね。
九龍城塞の魅力
九龍城塞は「九龍城砦」とも表記されますが、「城塞」と「城砦」はどちらも同じ意味を持つようです。城砦は集団を守るための基地を指し、城塞は鉄壁の要塞としての役割を持っているとされています。
1950年代から1990年代にかけて、香港に流入した移民たちが形成したスラム街がこの九龍城塞です。香港は長年にわたりイギリスの植民地でしたが、実際の領有権は中国にありました。飛び地という言葉が示すように、国の中に別の国が存在するような状況でした。
飛地 (とびち、 飛び地 )とは、一つの国の領土や 行政区画 、町会等の内、地理的に分離している一部分である。 土地の一部が「他所に飛んでいる」と見られることからこう呼ばれる。
九龍城塞は、イギリスも中国も手を出せない治外法権の場所でした。その内部は一度入ると出られないほど迷路のように複雑に入り組んでいたとされ、これもまたその魅力の一部だと思います。
建物と人口密度
九龍城塞の建物は、違法に建築されたもので、次々と増築され、まるで箱が積み重なったかのような独特の構造を持っています。そのため、隣接するバルコニーの高さが異なっていたりします。高層の建物が無秩序に立ち並ぶ様子は、まるでおしくらまんじゅうのように集まった集合体のようです。このような無秩序さが逆に秩序を感じさせる不思議な場所であり、写真で見るだけでも圧巻で美しい光景です。
九龍城塞では、当時多くの人々が狭い土地で生活していました。0.03平方キロメートルの区画に、なんと33,000人が暮らしていたと言われています。これは想像しづらいですが、畳一枚に3人が相当する狭さで、非常に息苦しい環境だったことが想像できます。その魅力的な九龍城塞に惹かれながらも、実際にそこで生活するのは非常に難しいことだと感じます。
不衛生と犯罪
九龍城塞では、電気も水道も通っていない環境でした。住民たちは、どこからか引いてきた電気の配線や、汲み上げた地下水を管で束ねて、勝手に利用していたようです。昼間でも暗く湿った通路の上からは、まるで生き物のように何本ものホースがぶら下がっていました。それらのホースからは汚水が漏れ出していたり、下水道も存在しない環境でのトイレ事情を考えると、非常に不衛生で悪臭のする場所だったと想像されます。
九龍城塞内では無資格や無免許で様々な商売が行われていましたが、無法地帯であったため、お咎めもなかったのでしょう。また、警察の介入が弱かったことから、犯罪組織が横行し、犯罪の温床ともなっていた九龍城塞は、犯罪者にとって格好の隠れ場所でした。
九龍城塞内には、学校や病院、議会などの組織も存在していたようで、何らかの形で独自の秩序を維持しようとする取り組みがあったのかもしれません。
軍艦島
長崎県の端島は、「軍艦島」として広く知られています。
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この島は炭鉱で栄え、日本では初めて鉄筋コンクリート造りの高層住宅がいくつも建てられた場所です。しかし、面積はわずか6.3ヘクタール、0.063平方キロメートルと非常に小さく、周囲が1.2キロメートルの島に、5000人以上が住んでいたそうです。そして、1960年代には世界一の人口密度を誇っていたと言われています。
軍艦島の建物
九龍城塞との大きな違いは、軍艦島の建物は5階建て以上の建物が綿密な設計のもとに建築されていた点です。以前読んだ本によると、階段も疲れにくくなるように、足の運びに合わせた段差の設計が施されていたとか。普段なかなか気持ちよく歩ける階段に出会うことが少ない中で、軍艦島の階段は写真を見るだけで体験したいという気持ちが湧き上がります。地獄段と呼ばれる階段もあったと聞いていますが、想像を掻き立てるには十分です。
軍艦島では狭い空間を工夫して共同浴場が設けられ、学校や神社、映画館なども存在していたようです。炭鉱が絶頂を迎えた時期には、各家庭に当時としては珍しい電化製品が多く存在していました。
朝鮮・中国の人々が徴用されていた軍艦島
軍艦島の歴史の中で、強制的に連行されて労働を強いられた人たちも少なくありませんでした。炭鉱での危険な作業により、多くの人々が命を落とした事実もあります。炭鉱の閉山後も、独特の外観が残る軍艦島は、多くの人々にとって記憶に残る場所です。
本・写真集の魔力
廃墟をテーマにした本を手にすることや、写真を眺めることで、今は存在しない場所を思い描くことができます。そして、そこで生活していた人々が実際に存在したことを考えると、胸が締め付けられるような感情がこみ上げてきます。犯罪が横行したり、炭鉱事故が発生したり、狭い環境の中ではさまざまな出来事があったことでしょう。
九龍城塞の薄暗い灯りや、通路の上に何本もの管やホースが垂れ下がる情景は、実際にここで生活していた人々の痕跡を感じさせます。九龍城塞は既に取り壊され、その跡地は公園となっています。一方で、軍艦島では誰もいなくなった住居に残されたカレンダーや子供用の人形、食器類、さらには学校だった場所に残された机や椅子などがあります。これらの写真を見ることしかできませんが、写真が語るものは非常に多いと感じます。
瞬時にして九龍城塞や軍艦島の世界に引き込まれ、写真を見るだけでそこに住んでいた人々の生活が感じられるのです。廃墟をテーマにした本や写真集は、その魅力に魅了された人々が書かずにはいられない、撮影せずにはいられないという衝動によって作られています。だからこそ、受け取る側もその魔力に取り憑かれるのだと思います。
最近の私は、公園でのウォーキングでは物足りず、住宅地の道路を歩くことも多くなりました。住宅地を歩いていると、時折誰も住んでいないと思われる空き家を目にします。その家をじっと見つめていると、そこに昔住んでいた家族の生活を勝手に想像してしまい、何故か涙ぐみそうになる瞬間があります。「間違いなくここで暮らしていたのだろうなぁ」と、独り言をつぶやくこともあります。年齢を重ねたせいかもしれません。
廃墟をテーマにした本や廃墟写真集は、今の世界からワープして別の世界へと連れて行ってくれるものです。しかし、夢中になりすぎると、その虚構の世界に自分が飲み込まれそうになり、実生活に支障をきたす恐れがあります。周囲から「ボケた」と思われないためにも、少し控えめに楽しむ必要があるかもしれません。
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